本記事の内容
本記事は「数学の文章って何言ってるかわかんない」、「論理的ってどういうこと?」、「数学の勉強をしてみたいけど、何が書いてあるか読めない」という方向けである。
そういう方に向けて、数学における主張「命題」について解説する。また、その命題の真偽について解説する。
序
数学における「文章」は日常生活で使う文章とは一線を画す。なぜならば、数学における文章は完全に論理的に書かれる文章だからである。言ってしまえば「〜という感じ」やら「〜っぽい」なる言い回しは一切出現しない。ほぼ「〜である。」、「〜でない。」、「〜が成り立つ。」と断言するのである。従って、数学の文章を書くときには完全なる論理を意識して書かねばならない。
先の通り、日常的に用いる文章とは一線を画すため、直感的に「正しい(真)」と思っても論理の世界(特に数学の世界)では「正しくない(偽)」ことがある。その逆も然りで、直感的に「正しくない(偽)」と思っても、論理の世界では「正しい(真)」ということがある。例えば、次のような主張があったとする。
「クジラが爬虫類ならば日本国国会議事堂は2つ存在する。」
この主張は「正しい(真)」だろうか?「正しくない(偽)」だろうか?それとも「正しくも正しくなくもない」つまり「真偽は判定できない」だろうか?正直なところ「何を言ってるか分からない」という感想もあろう。
では、仮に、先の主張に真偽が判定できるとしたら(実は判定できます)、どうだろうか。「正しい(真)」だろうか、それとも「正しくない(偽)」だろうか。一考してみてほしい。
答えは「真」である。(※なぜ「真」であるかは別の記事で書きます。)このように、直感に反する、またはそもそもの意味がわからない主張が出現したりする。しかしながら論理の世界ではこのような主張に対して真偽が判定できるのである。言ってしまえば論理における主張というのは直感とは一切関係がないのである。(実は真偽を判定できない主張もあります。)
すると「やっぱり難しいんだなあ」と思うかもしれないが、実はなんてことない。直感とは一切関係がないのだから、基本が分かれば後は作業ということになる。
命題とは
では早速「命題とは何か」という素朴な疑問に答えることにしよう。答えは単純かつ明快で「論理的に(特に数学的に)正しいか正しくないかを判定できる主張(文章や式)」のことを命題(proposition)という。ここで、「正しい、正しくない」というのは、真理・事実に合致するのだろうかということである。
先の例の「クジラが爬虫類ならば日本国国会議事堂は2つ存在する。」という主張は真偽を判定できるので(なぜ真なのかは置いておいて)、命題である。より数学的な文章を例に取れば「円周率は有理数である。」という主張もまた命題である(「偽」と判定できるため)。しかし一方で次の主張はどうだろうか。
「1億円は高価である。」
これは命題(真偽を判定できる主張)だろうか?答えは「命題でない(真偽を判定できない主張)」である。序で少し述べた「真偽を判定できない主張もある」というのはこのような主張のことを指す。
「いやいや、1億円なんて高価でしょ。だからこの主張は正しいので真偽を判定できるから命題でしょ」と思うかもしれない。しかし、違う。なぜならば人によって、状況によって1億円という数字に対して評価がマチマチだからである。
例えば次のような状況を考えてみよう。ある日、道を歩いていたら銀色のアタッシュケースが落ちていた。それには鍵はかかっておらず中を確認すると1億円が入っていた。その時その1億円に対してどう思うだろうか。「大金だ」と、「高価だ」と思うのではなかろうか。
別の状況を考えてみよう。自分の大切な人が病気で生命の危機である。その時医師から「費用は1億円だが、この治療をすれば助かる」と言われた。その時1億円に対してどう思うだろうか。恐らく「1億円で助かるなら安いもんだ」と思うのではなかろうか。
このように「1億円は高価である。」という主張は受け手(読み手)によって評価が変わる。従って真偽を判定できない。故にこの主張は命題でない。
某論破王からすれば「それってあなたの感想ですよね?」というわけだ。
数学における主張
前節ではある種の論理学的な話をした。ここでは数学における主張についてフォーカスする。
実は数学の文章を読むときには「この主張は命題だろうか。」と考えながら読まない。なぜなら数学における主張はほぼ命題だからである。すなわち、数学の主張はほぼ真偽の判定ができる。
言ってしまえば、「いついかなる状況であれ、どの人が読もうが真偽を判定できる」主張で構成されているのが数学である。実際、先の例である「円周率は有理数である。」という主張はいついかなる状況であれ、誰に対しても真・偽を説明することが可能である。
無論、数学の書籍を読めば「〜かもしれない。」などといった言い回しを見るかもしれない(とはいえほとんど無い)。しかしそれは数学的な主張ではなく、あくまで日本語の文章として読み手に説明するためにそのような言い回しを用いているだけである。つまり、
「円周率は有理数かもしれない。」
とかいう主張は出現しない。このような主張は数学に置いて全く意味を持たない。
ここで、「正しいか正しくないか判定できないものは全部命題じゃないってことは、未解決問題は命題じゃないのでは?」と思うかもしれない。これは間違いである。例を挙げると、確かにRiemann予想は未解決問題であり、真偽はわからない。しかしながらこれは「真偽を判定することができる主張だが、真か偽かが分からない」のであって「真偽の判定ができない」のではないのである。
数学における命題の真・偽について
以降は数学に限った話をする。先の通り、数学における主張はほぼ命題であるため、ほぼ真偽の判定ができる。
数学において命題のことを\(p, q, \dots\)やら\( p_1, p_2, \dots\)という記号を用いて表す。これは命題(proposition)の\(p\)が由来である。
数学に於いてある命題が正しいことを「その命題は真(しん)である(true)」、「その命題は成り立つ」、「その命題が成立する」、「その命題の真理値(truth value)はTである」という。また、ある命題が正しくないことを「その命題は偽(ぎ)である(false)」、「その命題は成り立たない」、「その命題は成立しない」、「その命題の真理値はFである」という。
ここで真理値とはその命題が真か偽かをT、Fという記号で表したものである。コンピューターサイエンスなどの分野ではTの代わりに1、Fの代わりに0と書く場合もある。
練習問題:次の命題の真理値を求めよ。
\(p_1\) \(1+1=2\)
\(p_2\) 円周率は有理数である。
\(p_3\) \(e>2.7\)(ただし、\(e\)は自然対数の底)
\(p_4\) \( \displaystyle \sum_{n=1}^\infty \frac{1}{2^n}=1\)
※答えは最後にあります。
命題が真であることを論理的に示すことを「命題を証明する(prove)」といい、その操作を「証明(proof)」という。証明された命題のことを特別に「定理(theorem)」という。
「真であることを確かめられた(証明された)命題を定理と呼ぶのであれば、偽であることを確かめた命題には定理という名前はつかないのか?」と思うかもしれない。実はそうではない。次の命題を考えてみる。
命題1. \(3\)以上の自然数\(n\)に対して、\(x^n+y^n=z^n\)となる自然数の3つ組\((x,y,z)\)が少なくとも1組存在する。
この主張は偽である(なぜ偽かは言及しない)。この主張を言い換えると(同値な変形という)、次のようになる。
定理2. (フェルマーの最終定理, Fermat’s Last Theorem):\(3\)以上の自然数\(n\)に対して、\(x^n+y^n=z^n\)となる自然数の3つ組\((x,y,z)\)は存在しない。
これは真であることがよく知られている。従って、命題1を 定理2の様に言い換えれば、上記は真であることが分かるので、定理と呼べるのである。
「何が言いたいんだ?」となるかもしれないが、結局の所、命題が偽であることを示すことは、その命題の否定が真であることを示すことと同じ意味であるため(これを排中律という)、偽の命題を示したとしても定理と呼ばれる。最も、「定理」と言う名前は重要な命題に対して用いられることがほとんどであるため、実際は証明された命題のすべてを「定理」と呼ぶわけではない。例えば、\(1+1=2\)という命題は定理とは呼ばれない。
余談
証明について
数学は定理を見つけ、それらを繋いでいく作業と捉えることもできる。そのためには命題が真なることを示す(証明する)必要がある。証明という概念は古代ギリシャで発明されたとされ、現代の我々からみても非常に完成度の高い証明が行われていた。
アレクサンドリアのユークリッド(Euclid, エウクレイデス)により、その当時の時期までの数学の集大成が「原論(ストイケイア, 英:Elements)」にまとめられた(紀元前3世紀ごろ、全13巻)。明白だと思われる命題を公準として幾何学の大前提に置き、それらから数少ない論理規則により厳密に諸定理を証明していくスタイルをとっている。原論には465の命題が証明されており、それらの命題は現在でもすべて正しい(証明の方法に文句があるものもあるが)と考えられている。
定理、補題、系、命題
数学の教科書や資料や講義において”正しい命題”という意味での定理を、定理(theorem)、補題(補助定理、lemma)、命題(proposition)、系(corollary)のように区別して呼ぶ。これはおおよそ次のように使い分けられる。
- 定理:特に重要な主張だけを「定理」という。
- 補題:定理を証明する目的で用意される定理(小さめ)を「補題」という。
- 系:定理などから直ちに導かれる定理(小さめ)を「系」という。
- 命題:その他の定理(小さめ)を「命題」という。
少々混同してしまうかもしれないが、要は、数学の世界では小さめの定理にも命題という名前をつけている、ということである。
論理記号について
\(\lnot , \land , \lor , \Rightarrow , \Leftrightarrow \)を論理記号といい、命題を表す”変数”に対応する\(p, q, \dots, p_1, p_2 , \dots\)などを命題変項という。常にTの真理値を持つ命題を表す記号\(\top, \bot\)を導入し、命題定項という。論理記号、命題変項、命題定項が語彙で、それらを適切なルールで組み合わせたもの全体を論理式という。
結
いかがだっただろうか。今回は【論理と集合シリーズ】その1ということで、「命題とは?」、「真・偽について」を解説した。
要するに命題とは「正しい、正しくないを判定できる主張」のことを指し、数学の世界では同時に、補題、系、以外の定理のことを指す。数学に於いて、命題が正しいとき、「真である」といい、正しくないときに「偽である」という。
次回は「否定」、「真理値表」についてを解説する。次次回は「論理積(かつ)」、「論理和(又は)」、「ならば」について解説する。その後は述語論理について解説する。そこまで読めば数学の文章なんて大したこと無い、と思えるはずである。
乞うご期待!コメントお待ちしております!
練習問題の答え:順にT, F, T, T
この記事の内容をより詳しく知りたい方は以下のリンクの本を参照してください!
ちなみに、「集合・写像・論理ー数学の基本を学ぶ」の方が入門者にはオススメです!
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