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「単射って?」【論理と集合シリーズ】写像編 その6

写像

本記事の内容

本記事は「単射って何?」ということについて解説する記事である。

「写像?」となっている方は以下の記事を参照してください。

単射

「単射って何?」というと、要は「定義域の異なる要素は、対応する終域の要素も異なるような写像のこと。」ということである。
これを前回書いた例を少々改変したver.で見てみよう。

例1′.(料理を食べるときに使う食器との対応規則の改変ver.)
\(X’=\{カレー,ステーキ、おにぎり\}\)、\(Y’=\{スプーン,ナイフ,手,足\}\)とする。
このとき、カレーはスプーンで食べるため(手で食べる人もいるだろうが、日本人では極めて稀だと思うので排除している)、カレーとスプーンを対応させる。
同様にステーキはスプーンでは食べず、手で食べると熱い。
同様に足で食べる人もいない(見たことがない)。
ステーキはかじりつくのではなくナイフで切って小分けにして食べる。
故にステーキはナイフと対応させる。
おにぎりを食べるときにスプーン、ナイフ、足を使うことはないだろう(お上品な方は使うかもしれないが、筆者のような庶民には無縁)。
従って、おにぎりと手を対応させる。
この対応規則を\(h_0\)と書くとき、今述べた

  1. カレーとスプーン
  2. ステーキとナイフ
  3. おにぎりと手

という対応関係は、

  1. \(h_0(カレー)=スプーン\)、
  2. \(h_0(ステーキ)=ナイフ\)、
  3. \(h_0(おにぎり)=手\)

と書かれるのだった。
このとき、カレー、ステーキ、おにぎりはそれぞれスプーン、ナイフ、手に対応しているので、カレー、ステーキ、おにぎりは別々の\(Y\)の要素と対応している。
すなわち、任意の定義域の別々要素が終域の別々の要素と対応しているとき、その対応(写像)は単射であるという。
そもそも写像は、定義域の要素が終域の要素ただ1つと対応していれば良いので、定義域の異なる要素が終域の同じ要素と対応していても良い。
勿論、定義域の異なる要素が終域の異なる要素と対応していても良い。
このときに写像は単射である、というわけである。

ちなみに、前回の記事においての例1.は、\(X=\{カレー,ステーキ、おにぎり,チャーハン\}\)、\(Y=\{スプーン,ナイフ,手,足\}\)とし、

  1. カレーとスプーン
  2. ステーキとナイフ
  3. おにぎりと手
  4. チャーハンとスプーン

という対応だった。
つまり、

  1. \(h(カレー)=スプーン\)、
  2. \(h(ステーキ)=ナイフ\)、
  3. \(h(おにぎり)=手\)、
  4. \(h(チャーハン)=スプーン\)

だった。
この場合、カレーとチャーハンがスプーンという同じ要素に対応してしまっているので、この\(h:X\to Y\)は写像だが、単射ではない。

例2.(数学っぽい例)
\(X=\{1,2,3\}\)、\(Y=\{1,4,9\}\)とする。
\(X\)の要素\(1,2,3\)に対して\(Y\)の要素\(1,4,9\)を次のように対応させる。

  1. \(1\in X\)と\(1\in Y\)、
  2. \(2\in X\)と\(4\in Y\)、
  3. \(3\in X\)と\(9\in Y\)。

この対応規則を\(g\)と書く。
このとき、

  1. \(g(1)=1\)、
  2. \(g(2)=4\)、
  3. \(g(3)=9\)。

である。
この例においても、
\(1,2,3\in X\)はそれぞれ\(1,4,9\in Y\)に対応しているので、\(1,2,3\ X\)は別々の\(Y\)の要素と対応している。
すなわち、任意の定義域の別々要素が終域の別々の要素と対応している。
従って\(g:X\to Y\)は単射である。

例3.(実数値の関数)
\(X=Y=\mathbb{R}\)とする。
このとき、任意の\(x\in X=\mathbb{R}\)に対して、\(Y=\mathbb{R}\)の要素\(y\)と\(x^2\)とを対応させる。
すなわち、任意の\(x\in X\)に対して、\(y\in Y\)を\(y=x^2\)で対応させる、と言っているわけである。
つまりこの対応規則\(f\)は
$$(\forall x\in X)\ f(x)=x^2$$
ということである。
この\(f\)は単射ではない。
実際、\(x_1=1\)、\(x_2=-1\)とすると、\(f(x_1)=f(x_2)=1\)であるため、\(x\in X\)が相異なっていても同じ\(y\in Y\)と対応しているからである。

これを論理式で書くと、次である。

単射 \(f:X\to Y\)を写像とする。このとき、\(f\)が単射(an injection, (形)injective)、もしくは一対一(one to one)であるとは、 $$(\forall x,x’\in X)\ (x\neq x’\Rightarrow f(x)\neq f(x’))$$ あるいは、この命題の対偶 $$(\forall x,x’\in X)\ (f(x)= f(x’)\Rightarrow x=x’)$$ が成り立つ事を言う。 ※筆者は対偶をとったver.の方が好きです(好みです)。

「単射であることを示しなさい!」と言われたらば上記の命題を示しなさい、ということである。

!注意!
筆者の経験なのだが、若干古めの数学書には、単射よりも一対一という表記が多く現れる気がする。
しかし、筆者はあまり好きではない(勿論、好き好きなので、しっくり来る呼び名を使ってもらって構わない)。
というのも、一対一と言われると「定義域\(X\)と終域\(Y\)の全ての要素に対応がある。」ような気がするからである。
しかし、単射は\((\forall x,x’\in X)\ (f(x)= f(x’)\Rightarrow x=x’)\)が成り立つことなのだから、終域\(Y\)の要素は全て使われていなくても良い(使われていない要素があってもよい)。
そういう意味では筆者は単射と呼んでいる。
※勿論、単射と一対一のどちらでも通じます。

今回は単射について説明した。
とどのつまり、単射というのは「定義域の別々の要素は、終域の別々の要素と対応するような写像」である。
しばしば対偶をとって、「終域の同じ要素と対応するのであれば、定義域の要素も同じ。」という捉え方をすることもある。
これらは同値なのでどちらを採用しても良い。

筆者は対偶ver.の方をよく用いる。
というのも、「〇〇と△△が等しい。」ということを証明するのと「〇〇と△△は等しくない。」ということを証明するのとでは前者の方が考えやすいからである。

次回は「全射」について説明する。

乞うご期待!質問、コメントなどお待ちしております!

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