本記事の内容
本記事は「逆写像って?」ということについて解説する記事である。
本記事を読むにあたり、全単射と合成写像について知っているとより理解が進むと思われるので、その際は以下の記事を御覧ください。
逆写像
逆?
全単射の節で少々ネタバラシしたのだが、全単射であるときに限り逆写像(逆関数)が存在する。
高校数学では「逆関数を求めなさい。」という問題を解いたことがあると思われるが、逆写像(逆関数)は必ずしも存在するわけではない。
しかし、高校数学ではそれを学ばない(範囲外のため)、「逆関数を求めろ?んなもん簡単だろ。y=f(x)y=f(x)をx=x=の形にして最後にxxとyyを入れ替えればいいんだから。」で終わってしまう。
さて、逆写像という概念は至ってシンプルである。
というのも、「XXの要素からYYの要素への対応があるんだったら、同じ規則でYYの要素からXXの要素への対応もあるんじゃね?」という発想だからである。
つまり、「今まではxxとf(x)f(x)の対応を考えていたけど、今度はf(x)f(x)からxxへの対応を考えてみようぜ」ということで、f(x)f(x)からxxへの対応というのは、”f(x)f(x)からxxに戻る”写像ということである。
しかし、写像ffというのは終域YYの要素が全て使われていなくても良い。
一方YYの要素からXXの要素に写像ggを定めるためにはYYの要素を全て使う必要がある。
従って、XXの要素全てとYYの要素全てに対応関係がある全単射の場合でなければ写像ffと逆の対応(写像)、すなわち、”元にに戻す”対応ggは考えられないのである。
ffが全単射であるときffとこのggは逆写像の関係にある、と言ったりする。
しかしながら、”もとに戻さなくて良い”のであれば、f:X→Yf:X→Yとは全く関係なく、g:Y→Xg:Y→Xという写像を(XXとYYの要素が無限個なら)いくらでも作ることはできる。
これらはあくまで別々の写像なのであって、逆写像の関係にはない。
実際、X=RX=R、Y={x∈R∣x≥0}Y={x∈R∣x≥0}のとき、f:X→Yf:X→Yをf(x)=x2f(x)=x2とする。
このとき、ffは全射であるが、単射ではない。
さらに、g:Y→Xg:Y→Xをg(y)=yg(y)=yとすると、確かにggはYYからXXへの写像であるのだが、”もとには戻らない”のでffとは逆写像の関係にはない。
とどのつまり、ffの逆写像というのは
ということなのである。
恒等写像
逆写像を厳密に語るために1つ特別な写像のお話をする。
と言っても非常に簡単で、X≠∅X≠∅であるときf:X→Xf:X→Xにおいて、つまり自分から自分への写像であって、XXの要素はすべて自分自身と対応づける、という対応である。
この写像をXXの恒等写像という。
X=RX=Rのとき、f:X→Xf:X→Xをf(x)=xf(x)=xとすると恒等写像である。
これは中学数学でよく出る1次関数y=xy=xである。
以上のことを式で書けば、
で、逆写像って厳密に何よ?
逆写像というのは「f(x)f(x)をxxに戻すような写像」のことであった。
これを合成写像の概念を思い出してみれば、別の言い方をすることができるのである。
それは、「xxをf(x)f(x)に対応させた後、f(x)f(x)をxxに戻すような写像」である。
もう少々詳しく言うと、逆写像は「xxをffでf(x)f(x)に対応させた後、f(x)f(x)にxxに戻すように対応させたとき、元のxxに戻ってくる写像」ということなのである。
これはまさに、というわけなのである。「ffとf(x)f(x)にxxに戻すように対応ggを合成すると、恒等写像だ!」
というわけなのである。
以上のことを式で書くと次である。

例1.
X={カレー,ステーキ、おにぎり,チャーハン}、Y={スプーン,ナイフ,手,足}とし、
に対して、h:X→Yを
- h(カレー)=スプーン、
- h(ステーキ)=ナイフ、
- h(おにぎり)=手、
- h(チャーハン)=スプーン
で定めた。
しかし、足∈Yと対応するXの要素が無いし、スプーンの対応先がカレーとチャーハンの2つあるため、h1:Y→Xをどのように定めてもh1は逆写像になりえない。
実際、スプーンをカレーに、ナイフをステーキに、手をおにぎりに、スプーンをチャーハンに対応させるためには
- h1(スプーン)=カレー、
- h1(ナイフ)=ステーキ、
- h1(手)=おにぎり、
- h1(スプーン)=チャーハン
としなければならないのだが、なんとスプーンにはカレーとチャーハンの2つの対応先が存在することになり、h1は写像でないためである。

例2.
X={1,2,3}、Y={1,4,9}とする。
写像g:X→Yを
- g(1)=1、
- g(2)=4、
- g(3)=9。
で定める。
また、g1:Y→Xを
- g1(1)=1、
- g1(4)=2、
- g1(9)=3。
として定める。
このとき、
- (g1∘g)(1)=g1(g(1))=g1(1)=1,
- (g1∘g)(2)=g1(g(2))=g1(4)=2,
- (g1∘g)(3)=g1(g(3))=g1(9)=3,
- (g∘g1)(1)=g(g1(1))=g(1)=1,
- (g∘g1)(4)=g(g1(4))=g(2)=4,
- (g∘g1)(9)=g(g1(9))=g(3)=9,
であるから、g∘g1=idXかつg1∘g=idYが成り立つため、g1はgの逆写像である。

さて、全単射の節で「逆写像が存在するのは全単射のときに限る!」という話をした。
これを証明しよう。
実はこの逆、すなわち逆写像があれば全単射である、も成り立つ。
すなわち、次が成り立つ。
(証明)
f:X→Yを写像とする。
①「写像fが全単射ならば、fの逆写像が存在する。」ことの証明
fが全単射であるとするとfは全射であるから、任意のy∈Yに対して、あるx∈Xが存在して、y=f(x)が成り立つ。
このxは一意的に、すなわちダブり無く定まる。
実際、x′∈Xに対して、y=f(x′)とすると、
f(x)=y=f(x′)
である。
ここで、fは単射でもあるから、x=x′である。
従って、ダブリが無いのでg(y)=xとして、写像g:Y→Xを定めることができる(ダブリがあったら写像ではなくなってしまう)。
このとき、
(g∘f)(x)=g(f(x))=g(y)=x
であり、かつ
(f∘g)(y)=f(g(y))=f(x)=y
が成り立つ。
従って、g∘f=idXかつf∘g=idYが成り立つため、gはfの逆写像である。
②「写像fに逆写像が存在するならば、fは全単射である。」ことの証明
まず、恒等写像idX:X→Xは全単射である。
実際、任意のx1,x2∈Xに対して、f(x1)=f(x2)であるとすると、f(x1)=x1かつf(x2)=x2であるため、x1=x2である。
従って、恒等写像は単射である。
また、任意のx3∈Xに対して、あるx∈Xが存在して、x3=f(x)であれば全射なのだが、xとしてx3自身を取れば良い。
従って、恒等写像は全単射である。
g:Y→Xをf:→Yの逆写像とする。
すなわち、
g∘f=idXかつf∘g=idY
が成り立つとする。
このとき、fが全単射であれば良い。
- 単射
f(x1)=f(x2) (x2,x2∈X)とする。
このとき、g∘f=idXなのだから、
x1=(g∘f)(x1)=g(f(x1))=g(f(x2))=(g∘f)(x2)=x2
となり、x1=x2であるから単射である。 - 全射
(∀y∈Y)(∃x∈X) s.t. y=f(x)
が成り立てば良い。
つまり、上記のようなx∈Xを見つけてくれば良い。
f∘gが全単射であるので、f∘gは全射なのだから、任意のy∈Yに対して、あるy′∈Yが存在して、y=(f∘g)(y′)=f(g(y′))を満たす。
xとしてg(y′)を採用すれば、g(y′)∈Xであり、
f(x)=f(g(y′))=(f∘g)(y′)=y
が成り立つ。
ここで、y∈Yは任意だったので、
(∀y∈Y)(∃x∈X) s.t. y=f(x)
が成り立ったことになる。
したがって、fは全射である。
故にfは全単射である。
以上のことから、fが全単射であることと、fの逆写像が存在することは同値である。
(Q.E.D.)
逆写像は全単射のときにしか存在しないってことは逆写像って殆ど無いんじゃね?
そんなことはない。
今の議論から、「全単射でなければ逆写像も存在しないわけなのだから、f(x)=sinxには逆写像が存在しないってことじゃんね?だって、f(x)=sinxは全単射じゃないんだもん。」となるかもしれない。
正直なところ、半分正解で半分間違いである。
前回の記事で、
「これはどこからどこへの写像でどういうことを満たすんだろうか?」ということがわからなければ、命題の真意を汲み取ることはできない。
と述べたことがここで効いてくる。
答えを言ってしまえば、「定義域と終域によっては全単射なので逆写像が存在する。」である。
普通、f(x)=sinxと言われたらば、「f:R→Rをf(x)=sinxで定めた関数ね。」と思うだろう。
少なくとも筆者はそう思う。
高校数学でやったとおり、f(x)=sinxは下図のようなグラフである。

このグラフを見て直ちに「こりゃ全単射じゃねえな。単射でもなければ全射でもねえな。」と分かってくれると嬉しい。
しかし、定義域と終域を次のように絞ってみよう。
- 定義域をRから[−π2,π2]に、
- 終域をRから[−1,1]に絞る
このように、することで、次のようなグラフになる。

このグラフを見て直ちに「全単射じゃーん」となってくれれば嬉しい。
実際全単射である。
従って、このときは逆写像が存在する。
まとめると、
- f:R→Rをf(x)=sinxで定めたとき、fに逆写像(逆関数)は存在しない。
- g:[−π2,π2]→[−1,1]をg(x)=sinxで定めたときには逆写像g−1が存在する。
このg−1こそがarcsinなのである(正弦関数の逆関数)。

何が言いたかったか、というと、全単射でない写像だったとしても、定義域と終域を適切に狭めたり広げたりすることで全単射が作れる場合があるので、その場合は逆写像が存在する、ということである。
ただ、この例において、fとgは定義域の要素をどう終域の要素に対応させるか、という対応のさせ方は同じなのだが、定義域と終域が相異なるため、写像としては異なる写像である。
余談その2(逆写像の有用性)
つらつらと逆写像について語ったが、筆者が思う逆写像の有用性をもう一つ述べておく。
それは「逆写像を使うことによって、考えにくい集合から考えやすい集合に写し、考えやすい集合で考えた後、もとの集合に戻す。」という操作が逆写像によって可能になる。
「は?」と思うかもしれないので、少々記号を使って表す。
集合Xである対象を考えていたとする。
大体の場合は要素が複雑な集合である。
故に、演算を決めたりなんだりと面倒なことがある。
しかし、ここで、このXがRと全単射f:X→Rがあったとしよう。
故に、Xの要素は写像fによって全てRの要素とただ一つ対応している。
従って、Xでは複雑で面倒だったのだが、この全単射fのおかげで、Rでf(x) (x∈R)を考えることができる。
つまり、実質的に実数でのお話をすれば良い、ということになる。
さらに、fは全単射なので、fの逆写像が存在する。
故に、Rでf(x) (x∈R)を考えた後、f−1でXの要素に戻す(もとに戻す)事ができる。
従って、全単射があるおかげで、より考えやすい集合で議論をし、議論が終わった後、逆写像で元に戻すことで間接的に、より容易に議論が可能だ、ということなのである。
(筆者はむしろこの使い方で逆写像を用いる。誠に平たく言えば、多様体はこのように議論をする。)
結
今回は「逆写像」について解説した。
平たく言えば、「f(x)をxに戻すような写像」のことである。
次回は解析学に戻り、「数列の発散」について解説する。
収束については述べたのだが、発散については述べていなかったので、それを述べる。
数列の発散のあとは、「関数に対する収束」について説明する。
乞うご期待!質問、コメントなどお待ちしております!
この記事の内容をより詳しく知りたい方は以下のリンクの本を参照してください!
ちなみに、「集合・写像・論理ー数学の基本を学ぶ」の方が入門者にはオススメです!
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